2007年06月
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◆2007年06月27日(Wed)◆
『追突事故入院もうすぐ一カ月』
入院日記その8

RI検査の予定日が決まった。
7月に入ってからであるが、こんなに早く検査してもらえるとは!病院、医師の方々に感謝。
RI装置はどの病院にでもあるものではないので、すぐ検査枠が取れる訳ではないらしい。RIは造影剤そのものがインジュウムという放射線物質の液剤で一度脳脊髄硬膜内に入れると3日間体内に残留するそうだ。人体に影響はないとのことだがそのあいだは被爆していることになる。あまりにも頻繁に行うのは、やはりリスクとトレードということで、そのへんはレントゲンと同じか。
これは良い事なのだが今、検査する病院が大幅に増えたおかげでインジュウムが各病院に一週間で2人、多くて3,4人分しか確保できないらしい。生産が間に合わないと聞く。
しかも放射線を扱うため、これから新たに病院に一部屋増やしてポンと設置できるほど簡単なものではないとのこと。
こうやってこんな時でも、本の執筆のためか、つい医師に取材してしまう。
2000年の頃の闘病記録はノートにボールペンだけだったが、今、入院中ずっと小型カメラでのセルフ・ハイビジョン映像も記録している。

今月6月2日に今の病院に入院して今日27日、もうすぐ一カ月になろうとしている。
まだ体調は良くない。むしろこの一カ月で悪化している。しかし病院での毎日の点滴がかなり助かっている。
これがないと、とてもこんな程度ではないだろう。
前回と同じような内容だが、ずっと寝たきりで、一度食事やトイレなどで起立すると、その後に頭、肩、背中、腰に強い痛み、倦怠感が出る。立つと、めまいというか視点、目も多少ついていかない。
全身の筋肉の緊張、こわばりも出る。二本の足で立っているはずなのに、足、腹、背中の筋肉に片足で立ってるような力が入る。
寝ると、頭、顔、首、背骨付近にほてりがあって、熱い。しかし汗はでず、出ても油汗のようにねばつく。
氷枕やアイスノンで頭や首を常時冷やしている。
腰、背中に湿布も常時貼っている。
このほてり、もし脳脊髄液の減少によるものだとすれば、全くの素人考えだが、脳脊髄液って脳と脊髄神経の冷却をしているのかな、と思った。脳や脊髄神経はPCのマザーボード上に配線されてるCPUやメモリのように身体の中でも特に沢山エネルギーを消費し熱を出す。ということは何かで脳は冷やされているはずで、すなわち脳は脳脊髄液による水冷なのか。
脳脊髄液はいわば、事故の怪我などで漏れたりすると血液とともにその冷却水だとすれば、その冷却が間に合わなくなって、脳が熱暴走するのを止めるため身体が無理しても身体中の水分をぎりぎりまで集めることになって、。。
その結果、腸で水分を限界まで吸い上げ便秘を起こしたり、上半身、頭部がほてったり、脳の冷却が最優先になるため血液も十分身体の隅々の各細胞に回らなくなって全身がエネルギー不足に陥り倦怠感として症状が出て、熱暴走の初期症状として頭痛などの痛み、色々身体に神経的、精神的異常が出てきてたりするのではなかろうか。
簡単にいうと典型的な脱水症状であり、慢性的脱水症なのかとベットで寝ながら思ったり。まったく医者でもないのに病人って、こんな事ばかり考えてるんですよね。もちろん栄養も運んだり、脳をクッションのように守っているのだろうけど。

ここからは医療アイデア・ネタになるが部屋に設置されているテレビを観ることは寝ていると首が辛い。しかも画像は横にみえる。そもそも患者はベットでずっと天井を見ている。各ベットの真上、天井にテレビモニターが設置されていると便利だな、と思った。寝たきり老人や病人はずっと天井を見ながら暮らしている。フィルムのように薄っぺらいモニターとか出来たそうだし、これから天井に張り付けてテレビなりPCが利用できないかな。携帯のモニターを壊してしまい、この一カ月、メールもうまく打てない。もっともこの体調ではそんな事もきついのだが。身内に代用機を早く頼まないと。

まつもと泉

◆2007年06月22日(Fri)◆
『一日点滴4本』
入院日記その7

つづく!とヒキながら数日UPできなかった。
このところ体調が悪く、正直それどころではない。点滴を一日4本に増やしてもらう。一日4本というと、落とす速度にもよるが朝から始めて夕食後に終わるぐらいかかる。
頭痛、首、肩、背中、腰の痛みが強くなった。
ロキソニン(痛み止め)が朝、昼、夜と増える。
咳やくしゃみをするだけで、腰や背中を中心に痛みが走る。
食事やトイレに立つ以外は寝ているが、起き上がると頭痛、腰痛の痛みが増す。歩くのもしんどい。立つと身体全身の筋肉が硬直したようにこわばる。
同じく立ってると脳しんとうを起こしたような、モアーとしためまいと吐き気も出てきた。倦怠感も強くなっている。油汗が出てくる。部屋のごみ箱を見ると一日500mlペットボトルのミネラルウォーターを6本も飲んでいるのだが、これだけの水分が一体どこに消えていくのか。
しかし今回、しつこい便秘だけは回避出来ている。
8年の脳脊髄液減少症でこれに一番困った為、対策を徹底している。今はずっと寝たきりで気分もけっこう悪いので前回のつづきはのちUPする。
キーボートが壊れてて文字も打ちづらい。これもなんとかせねば。
蛇足だが、入院中にスタッフから「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」「太陽」の映画のDVDを届けてもらって気晴らしに観た。「硫黄島からの手紙」は「父親たちの星条旗」の引き立て役のようなつくりで、やはりハリウッドによる日本人というか、うそっぽい。アメリカと日本であらゆる明暗をつけすぎている。「太陽」でのイッセー尾形が演じた昭和天皇はよくここまで演技したなというか凄かった。しかし、いずれにしても日本以外の国で制作される日本の描写はやはり変な感じがつきまとう。本当の日本人は戦前であれここまで無口でもなく暗くもないはず。むしろ世界でも稀なほど、よく笑うし、おしゃべりでお調子者が多い。


まつもと泉

◆2007年06月20日(Wed)◆
『損保会社からの電話』
入院日記その6
今日の午後5時直前、突如、加害者側の損保会社の担当者から私の携帯電話に電話がかかってきた。
2週間なんの音沙汰もなく、ようやくというか、突如初めてきた。
しかも、事務所の番号も知らせてあるにもかかわらず私が病院にいると知りつつ(院内は携帯禁止なのだが)平気で携帯に電話かけてきた。
相手は実に自分にとって都合のいいことのみ、言いたいことだけ言って電話が切れたが、またこちらがかけようとすると、もう午後5時の電話業務受付を過ぎており言い逃げできたという巧妙で手慣れたものである。
そしてその時彼が私に告げた内容は、実に驚くべきというか呆れる言葉ばかりだった。
なるほど、これがこの脳脊髄液減少症をめぐる患者と損保会社の問題だったのか、ということを、私はその正体を今回しっかり知った。

こりゃ、こんなこと被害者が言われたら、みんな怒るわけだわ。

この損保の対応を知るときっと多くの方は、本当にそんなことあるのか!?と驚くだろう。私も驚いた。そして怒った。
これを多くの、この損保問題に興味ある方に少しでもうまく伝えたい。そのためには、今回会話内容を並べるとそうとう長文になる。
加害者側損保の者が突然、私に対し挑発的発言を行ったのは、あるいは。前回のここでの私の加害者の不誠実な挙動の指摘に対する加害者かばい、私のヘイト・ターゲットを移動させる目的の可能性もある。いずれにせよ損保とは事故被害者の身体を治し保証するためにあるのではなく、雇った者の側の利害で動くものということが如実に分かった。
私の車が加入している損保、まさかこの会社ではないだろうな、
そうだとすれば、ぞっとする。帰宅できた暁には確認したいものだ。NPO支援協会の中井さんから聞いた話しだが、今では外資系損保会社で脳脊髄液減少症にもきちんと対応してくれる会社があるそうである。もし仮に今後私が加害者になった場合を考えると、(車を運転する以上、絶対事故は起こらないとは限らない)今後そちらに私は換えるつもりだ。それが交通事故被害を体験し、その泥沼のような苦しみを知るものの義務と感じる。

さて推敲もちゃんとしないとね。
しかももう院内は消灯、就寝時間だ。
よって、次号につづく!

まつもと泉

◆2007年06月18日(Mon)◆
『追突事故入院二週間 経過』
入院日記その5

6/19 推敲、追記しました。

入院して二週間が過ぎた。最初の一週間は始めにMRI検査をしてあとは点滴安静だった。しかし回復したとはいえ脳脊髄液減少症患者である私のMRIでは結論が確定する訳ではない。経過観察が必要だ。これから症状が悪化していくか、改善していくか、だ。一日で点滴4本。朝から晩までかかった。そして二週目はリハビリを行った。マッサージや軽い運動だ。しかし、点滴を止めて以降、特にリハビリ運動後に症状は悪化した。この二週間で症状は悪化していった。
今日からまた点滴を再開した。
点滴を行うとやはり楽になる。
それでいよいよ、というかRI検査を行うか、どうかを先生と話し合った。
脳脊髄液減少症の患者がおもいっきり追突され、どういう事になるのか、結局、この検査にまたなるのである。
以前にも私は重い物を持ったり、身体に振動がかかると症状が悪化することがあった。
しかし、それでも追突前までは体調は良く普通に生活し仕事もできていたのだ。
最悪、脳脊髄液が漏れていたら2004年以来のブラッドパッチを行う事になる。
漏れていない事を願うばかりだ。
そうなれば回復までの私の時間的損失は膨大になるからだ。
それにしても、加害者や損保会社の方からはその後、一度も音沙汰がない。私の車もつい最近まで、まったく修理もされずほったらかしだったので驚いた。
そういえば、最初に私が加害者側の損保会社の人に、自分は長年、脳脊髄液減少症で苦しんで来て、ブラッドパッチ後ようやく回復して仕事に復帰できた矢先に追突されたと、この病気の説明をした時「まぁ、ほんとかどうかまだ色々判らない病気ですし」というような事を当の患者を前に言った事に驚いた。
なるほど、これがこの病気の患者の方々が色々訴えてきた問題なのかとあらためて実感した。
あと、事故直後に追突してきた加害者のタクシードライバーは事故直後に私の名刺を欲しいと言ったので渡した。
私も貴方の名刺が欲しいと言ったが、自分は持っていない、とい言ってタクシー会社のレシートに本人の名前と携帯番号をボールペンで書いて渡してきた。すると私の名刺を見て「まつもと泉って、あのきまぐれオレンジロードのまつもと泉先生ですか!」と驚かれた。「単行本全部持っています、書店でもらったカバーをかけて保存していますよ!」と「あの映画『あの日にかえりたい』っていい映画ですよね〜」と緊急を要する時に事故と関係のない私の私事を、駆け付けた警官や乗客の前で自分が起こした事故など忘れたか人ごとのようにしゃべり始めた。乗車している客は怪我を訴えていて、私自身、首や腰に異常を感じショック状態だと言っているのに、この人は今、どういう状況に自分がいるのかきちんと認識しているのか?
そのあと調書を取りに訪れた警察の駐車場でもそのドライバーはまた駐車中わきの壁に追突していた。私はあいた口がふさがらなかった。

まつもと泉

◆2007年06月15日(Fri)◆
『みんな元気かな?』
入院日記その4

6/16 推敲、追記しました。

事故後真面目な事ばかり書いてきたので、今日はとてもプライベートな事を書こう。うちわネタです。
これだけ長期入院していると当然暇を持て余す。
で自分はiPod 30GBに日頃よく聴く音楽を2000曲ほど入れて持ち歩いているのだが、病院のベットでも聴いていたりする。私の事だから70年代Rockがほとんどなのだが、実は一番聴いているのは2000年から2003年ぐらいのゲームのサントラだったりする。ひきこもって闘病していたあの頃の自分を支えてくれたのは、あるオンラインゲームだった。自宅でインターネットにつなげたゲーム機でそのゲームをプレイしている時だけ自分の病気を忘れる事が出来たからだ。私以外にも他の病気でリタイアして、自宅静養しながらそのゲームをしている人とゲームの仮想世界内で知り合ったりもした。お互い良く似た者同士、毎日時間を決め、待ち合わせてログインし一緒にプレイしたり、とりとめなく話しをずっとしていた。そこで出会った人がその時、唯一の会話友達だった。その人はだんだん病気が悪化していったのか、次第にキーボートもうまく入力できなくなり、やがて会話もままならなくなっていった。今も、あの仮想の街で一人たたずんでいるのだろうか。彼にとって現実ではもはや満足に動かぬ五体を存分に躍動させられるその世界のほうが居心地のよい世界なのだろう。そのゲームの曲を聴くと今も癒される。今も病院であの世界へのログインの時にいつもかかってたマーチを聴いています。
さて、どうせ本人同士にしか分からない名前だし(笑)
感謝の気持ちを込めて。
ゆなさん、ばでぃさん、こじたん、だーくさん、べなさん、らいりん、えるりくさん、のりさん、はにさん、あるさん、えべんさん、かきさん、まてさん、りねさん、みしまさん、まだまだ仲間は一杯いたけど、皆さん元気ですか、みんなのおかげで、元気になりました。本当にありがとう。また会えたら色々話しましょう。LSは今も残してあります。

http://www.youtube.com/watch?v=nfX4zf77igk&feature=related


すてさんより

◆2007年06月13日(Wed)◆
『追突事故入院10日経過』
入院日記その3
追突事故後、入院してはや10日が過ぎた。
病院の消灯時間は午後9時だが、平均して10時には寝入っている。日頃夜型なので、いつもならこれから本調子というところで就寝時間となり不便だが健康を考えるとこれが良いサイクルだと納得し消灯する。不眠のため睡眠導入剤は8年近くサイレースを服用してきたが、この病院にはおいてないのでユーロジンを出してもらう。
これはこれで眠れる。睡眠剤を使用しているため酒を飲んで寝る、なんてもう10年近く出来ないでいる。いつかはまた普通に寝酒が飲めるといいな。
さて、このところ決まって午後になると頭痛が強くなる。
腰痛や背中、肩の傷みなども、伴っている。
倦怠感もありパキシルぐらいではごまかせなくなってきた。
ロキソニンが手放せなくなってきた。
退院のめどははっきり決まっていないが信頼できる脳神経外科の先生なので安心している。

まつもと泉

◆2007年06月10日(Sun)◆
『追突事故入院一週間経過』
入院日記その2

タクシーに追突された交通事故から入院して一週間が過ぎた。
加害者のかたは入院時に一度挨拶に来て「あとは保険会社と自分の会社の事故担当係に全て任せますので、ではお大事に」と告げてそそくさ引き上げ、その後なんの音沙汰もない。まるで人ごとのようである。

数日前、何故か扁桃腺を腫らし38度の熱を出して病院で抗生剤を処方してもらう。
風邪による頭痛と追突事故での頭痛が重なり、どっちの症状なのか分からない日が数日続く。
確かに脳脊髄液減少症で感じる数々の不定愁訴症状は重い風邪の症状にところどころ類似している。
扁桃腺を腫らして高熱を出すなんてオレンジロード連載時以来20年ぶりである。
睡眠導入剤とパキシルを就寝時飲んで寝る。
これはもう8年続いている。
しかし夜中、寝ていて目が覚める。
頭、首、腰の痛みが強くなったように感じる。
500mlほどのミネラルウオーター、ポカリ、ビタミンCサプリ、ブドウ糖の塊を少しかじってまた寝る。(長年の経験で、そうすることで楽になるため)
以前2000年頃の脳脊髄液減少症が悪化していた体調と類似した症状である。思い当たる事は一日前に点滴を止めた事である。それから痛み、健忘、倦怠感が強くなったような気がする。目のかすみも感じる。ピントが合わない。
視野が狭くなったような感じ。
今日は8時間以上寝ているはずだが疲れが取れない感じ。
風邪症状はだいぶん楽になったが、依然頭痛はつづいている。
身体全体にこわばり、硬直感、妙に力が入っているような筋肉緊張感がある。
幸い食欲はまだある。
だが、まだ一週間の経過だし、今日は気圧も低かったりして悪化と決めつけるには早い。
それは先生の判断で決められる訳だし、ここでは素人の自分の主観だけを記してるに過ぎない。
もし一週間前に、この病院にかかっていなければ体調はどうだったろうか。
おそらく今まだこの程度で済んでいる、というほどの体調なのは今回、この病院の医師の判断、スタッフの方々の対処が良かったためと思われる。

まつもと泉

◆2007年06月08日(Fri)◆
『脳脊髄液減少症にならないために』
6月3日の私の追突事故のブログを見て電話やメールを下さった方々、ネット上で案じてくださった方、ありがとうございます。
もしこれを読んでいる方が私のように、ある日突然、交通事故に巻き込まれたらこのテキストは貴方にとって参考になるかもしれません。

入院日記その1。脳脊髄液減少症にならないために。

今、入院中の病室のベットから携帯でこのテキストを書いている。PCと違い携帯は寝ながらテキスト書きが出来て助かる。もっとも病院内は携帯電話は原則使用禁止なので使用許可をとるか、オフラインでテキストを起こし外でオンラインでブログにアクセスする事になる。
私の場合は相手ドライバーの不注意による追突事故だったのだが、それに限らず対人的な交通事故に遭ったら、警察をすぐ呼び、「人身事故扱い」にして欲しいとその場で警官に告げるのが良い。
事故直後、その時は見た目に怪我がないと、自分も相手ドライバーも大したことがないと思い込み、壊れた車の事ばかりに関心注意が行きがちになる。
少しでも怪我したり身体に不安や異常を感じたら臆せずそのことを警官に言おう。
車は壊れてもいくらでも修理できるし、損傷が大きければ新たな車を加害者側に弁償してもらえばいいだけだ。しかし人間の身体は車のように代わりで解決はできない。
その場で愛車の損傷や修理費ばかりに気を取られ、身体は平気だと過信してしまうと、後々、交通事故の後遺症が出て一番大切な自分の健康を失い一生を棒に振ることになりかねないので注意しなければならない。
鞭打ち症やその後遺症の脳脊髄液減少症は、その場ではすぐに自覚症状がでない場合が多いのだ。
事故を忘れた頃に、身体の異常を感じてからでは遅いのだ。
その場で「物損事故」として扱われてしまえば、あとで身体に異常が出ても加害者に賠償責任を要求するのは容易ではない。
そして脳脊髄液減少症にならない最善は、事故直後から安静にすることだ。
救急車に乗せられ連れていかれる病院で検査を受けそののち警察に出向き、調書を書いたり、自分の車の処理をしたりで、とても横になって安静を保っている暇がないのが現実で問題だ。
聞いた話しだが、動けないほどの怪我をしたほうが、担架で運ばれ寝たきり安静を保てるため、のち脳脊髄液減少症になりにくい、という患者の間での皮肉話もある。
とにかく日頃から、地元で脳脊髄液減少症の治療を行っている病院を確認しておき、不安を感じたなら事故当日か翌日にでもすぐ診断を受けて、点滴安静を保つことが望ましい。医師の判断で入院を勧められたら、仕事や学校も大切だが思い切って入院すべきだ。脳脊髄液減少症になるか、否かは初期段階の対処方法で運命が分かれる。

まつもと泉

◆2007年06月03日(Sun)◆
『追突事故に遭う』
一昨日、6月1日金曜日、夜、都内を自分の車で一人運転中、交差点十字路でガッシャーンという大きな音とともに私と私の車は強い衝撃を受けた。
突然身体や頭が強くシェイクされた。
後方からきたタクシーに追突されたのである。
おかまを掘られた訳だ。
その時信号はすでに赤だったので私の車は右折停止していたのだが。
その後方から同じく右折を狙ってタクシーが突っ込んできたのだ。
衝突直後すぐに道路わきに停車した。追突してきたタクシー運転手がすぐ警察を呼んだ。
これはあきらかに相手のドライバーの不注意だ。私の車は後方ライトとバンパー左大破。
これだけで済んだのが不思議。
シートベルトを、していなければ私は相当の怪我をしていたかもしれない。
バイクだったら命に関わっていただろう。
タクシーに一人、客が乗っていてケガをしていた。
タクシー運転手は見たところ怪我はない。
突然受けた強い衝撃のためか、私はショック状態になっていた。
ボケーとしていてなにも考えられないのである。
その客から聞いたがタクシーは追突時30キロ以上は出ていたという。
つまり停止するつもりはなかったということか?
赤でも駆け込み右折するつもりだったのか。
しばらくして警察官が一人、自転車でやってきて状況を聞いた。
警官は人身事故扱いするかどうか私とタクシー運転手とその乗客に聞いてきた。
タクシー運転手は、出来ればしたくないようだったが、私の体調もその追突直後から少し変で、客も腰が痛いといっているので人身扱いにしてもらった。
その後救急車を呼んで、客と私は救急病院に行き、軽く検査を受けた。
外傷と骨折はなかった。
しかし、これは典型的な鞭打ち状態だ。
脳脊髄液減少症は後から症状が出てくるのだ。
まさか脳脊髄液減少症に長年苦しんで今は回復しつつあり、その闘病記を執筆中の自分が追突事故に巻き込まれるとは!
その後、警察に行き調書を取ってもらいレッカーで車ごと自宅に帰ってきた。
4時間ぐらいかかった。疲れとショックで立っているのがやっとだった。
私はいやな予感がしたが、翌日6月2日、体調がおかしくなり、自宅近くの病院に受診した。
その病院には私の知っている脳神経外科医がいる。
神奈川県で脳脊髄液減少症に一番詳しい先生だ。
地獄で仏の心境。
問診後、即入院となり「安静にし様子観察しましょう」と医師に勧められ今その病院で点滴をして頂きながら横になっている。
まったく、私は相当この病気と縁が深いようだ。

各位様にはご迷惑をおかけ致しますが、私宛のメールは入院中、プライベートのかた以外全てスタッフ宛の以下のアドレスにお願いいします。
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まつもと泉


 

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