2006年1月12日(木) 友よ安らかに...
明けましておめでとうございます。
とはいえ、新年早々めでたくない事で2006年は幕が開きました。 1月2日に、10年近く原因不明の病気と闘い5年前から完全なうつ病 状態となり それ以来自宅にこもって闘病していた富山の親友が「亡くなった」と訃報があり 8日まで葬儀で実家富山に戻ってきました。 その親友は父もすでに他界し老いた 母と二人暮らしでした。 正月早々、その友の葬儀に出席したときです。 火葬場で最後のお別れのとき、一人白装束で残された老いた喪主である 母親が、 人にすがりついて号泣するその姿が今も脳裏に焼き付いております。 北陸の静寂した白く寒い雪の世界に一人老母の声だけが響きました。 こんな悲しい葬儀はありませんでした。 友の骨を拾いながらなぜ彼は逝ってしまったのか、考えました。 実は、ひと月前(フジテレビとの富山取材時)に地元で10年以上 ぶりに再会し 4時間も彼とひざをつきあわせ話し合った矢先でした。今はただただ冥福を祈るばかりです。 昨年は私のことや脳脊髄液減少症のニュースを新聞やテレビ各マスコミ に報道していただきました。 12月8日のフジテレビ「とくダネ!」の脳脊髄液減少症報道は反 響が大きかったそうです。 田中アナウンサー始め番組のキャストの方々、永野様始めスタッフの 方々に改めてお礼申し上げます。 今年は闘病記出版や商業作品活動など開始いたします。 詳しいスケジュール情報などは鞭打ち症患者支援協会様の 今後発行される会報にコラムとして寄稿させていただきます。ぜひご覧ください。 また現在も脳脊髄液減少症の保険適応を求める意見書を 中井様始め鞭打ち症患者支援協会様、患者の方々と共に各都道府県議会に提出する活動を行っています。 慌ただしい感じですが、今年もよろしくお願いいたします。 |
2005年9月3日(土) 脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)とは?
2005年9月3日の毎日新聞、東日本版朝刊社会面に脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)の
記事が載り、私の事が載りました。この病気は、正しくは病名は、 まだ世界では全く知られていません。しかし、難治性むち打ち症と言えば、解るかたは多いと思います。 交通事故などで受けるむち打ち症は、いったん悪化した場合、 一生治らない病気だと今まで言われてきました。 なぜなら、なぜ治らないのか、どこに慢性的病巣原因があり、改善されないのか、 全く今までの医学常識では解らなかったからです。 レントゲンやCT、MRIなどで患部を外科的に診断しても、 今までどこにも異常を確認できる医師(脳神経外科、整形外科、脳神経内科など)が いなかったからだと思われます。その結果、この症状は長期に及び、 自律神経失調症や、うつ病、パニック障害、統合失調症などの 精神症状とも診断される場合が多いらしいです。顎関節症症状にも似ている為、 (実際、脳脊髄液減少症では自律神経の狂いから顎関節症等、 歯の噛み合わせが悪化することもあります、私がそうでした。) そのような治療を進めると、かえって歯や身体、精神を更にボロボロに悪化させ 泣き寝入り、という患者の方もいるかと思われます。 また、その行き着く所見当違いの病名と診断され入院病棟で 不幸にも一生を送られている方もいる、と思われます。 まったく周りから苦しみを理解されず(知人、家族でさえ!)その苦痛の末無念の内に 自殺された方もいると思います。 今まで多くの方々が、本当の自分の病名を知らされず、誤診され、辛い思いをされて こられたのではないでしょうか。 ただ、確かにまさか髄液が漏れることによって、このようなことになっていたとは 誰も解らなかったからで、仕方がない部分もあったとも思われます。 怖い事に今も昔も交通事故というものは、特別な事件ではなく、現代人にとって あって当然、当たり前のように、扱われています。日常に過ぎず、 ニュースでもなんでもないのです。しかし、そのもたらすものは想像以上の、 実は「戦争などに匹敵する規模の人災惨禍である」と思われます。 もし、自分や近くに、このような辛い思いをされている方がいるならば、 一度、脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)=難治性むち打ち症専門医に 診断されてみることをお勧めいたします。 私が闘病しているから、ということもありますが、私同様、多くのこの病気で闘っている方々の 気持ちをも代弁するつもりで、私はマスコミ各位様等の取材に応じさせていただいたました。 この取材のために動いてくださった 毎日新聞社さま、記者渡辺さま、鞭打ち症患者支援協会さま、Dr.美馬先生、スタッフ関係者ご一同に、 改めてお礼申し上げます。 ・この記事に対する質問、問い合わせは、以下の関連組織、団体、病院にお問い合わせください。 毎日新聞社掲載記事 http://www.npo-aswp.org/ http://www.sannoclc.or.jp/ |
2005年7月6日(水) 脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)の現状
昨夕7月5日の午後6時17分頃、フジテレビで放送されたスーパーニュースにて、
脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)で闘病されてる患者さんや医師が紹介された。 番組では、かなり詳しく病気の事が紹介され(交通事故にて髄液が漏れる仕組みやブラッドパッチ治療方法など) 闘病されている患者さんの苦闘が、自分の事と重なり胸が痛んだ。 交通事故被害者でありながら、支払いを拒む保険会社や、 いくつもめぐった病院の「どこも異常なし」診断書の山、 その患者さんの周りの社会が、全くその病気を否定している事に、 やり場のない患者さんの怒りの気持ちが私にも伝わってくる。 「そうそう、こういう辛さなんだよ..」と相づちをうちながら観た。 交通事故後起こる鞭打ち症後遺症、慢性的な数々の原因不明の自律神経失調症症状、 精神症状の正体とは脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)だった。 これが遂に解明された。ようやく社会が認めつつある。 勇気と怒りを持って番組に出られ告発された患者さん、私もその患者の一人です、頑張ってください。 最近、頻繁にマスコミでこの病気が紹介されるようになった。 私も最近この病気を、世間に広く紹介、啓蒙されている方々にお会いして話しを聞いた。 NPO鞭打ち患者支援協会を運営されている方々だ。 お会いして話しを聞き、色々病気の現状を勉強できた。アドバイスも色々いただいた。 この協会に改めてお礼を言いたい。ありがとうございました。 この協会の方々や患者さん、医師たちが闇夜の灯台の灯りとなり、頑張ったから、 この病気が今ほど知れ渡ることができた、と断言できる。 なにより私は一年前、このサイトに電話をして病院を紹介してもらった。 そしてブラッドパッチが出来た。 今、この病気の為、私にも何か出来るはず、と考えている。 |
2005年3月13日(日) レッド・ツェッペリンDVD
今は去年行った2度のブラッドパッチ療法の経過観察中です。 事故以来もう43年も経過してる故、長年の積もり積もったモノなので治療後すぐビシッと治りました、 という感じにはなりませんが、気長に行くしかありません。 この調子で良い方向に向かえば吉で、改善がなければ3度目のブラッドパッチを行うかとも思えます。 さて、最近マイブームになってるものは「レッド・ツェッペリン」です。 そういえば15年前に「せさみ★すとりーと」で「ロックが楽しくなるマンガ」というロック史評論やったな。 (新装丁4巻の第1巻目巻末に収録してます) 発端は最近「スクール・オブ・ロック」という1970年代のロック賛歌な映画を観て凄く楽しめたので、 そういえば最近いたるとこで70年代のロックが再燃してる様子があり、 今月のアエラ増刊号ではロック大特集だし先月の月刊プレイボーイ誌での 「エリック・クラプトン」「ジェフ・ベック」「ジミー・ペイジ」の特集も面白かったし、 (チャーさんのインタビューやジェフ・ベックのインタビューが良かった) その本で、なんと2003年にDVD2枚組からなる「レッド・ツェッペリンDVD」なるものが発売されている、 と情報を得て、早速購入。最初は、ぼくもツェッペリンとももう30数年来のつき合いなんで、 音はたぶんこういう感じだろうと予想でき、ディスクをトレイに入れ再生するまでは軽い気持ちで、 悪くいえば少しなめて観はじめたんですが.......。 なんと、そのDVDに収録されている1970年ロンドン・ロイヤル・アルバートホールでのライブ映像を観て驚きました。 これは凄いの一言。凄すぎる。これホントに35年前か?1970年でこういうことしてたのか...こいつら。 日本は大阪万博だったんだよ、まだその頃。もう断言してもいいかも。 こいつらこそがやはりロックの盟主であったと。「レッド・ツェッペリン」こそが世界一のロックバンドであったと。 ハードロックというものはこいつらが発明したんだな。つくづく思い知らされました。 ぼくはこの一生の中で、月や宇宙への旅行がたぶん出来ない事よりも71年に 「レッド・ツェッペリン」日本公演を当時観れなかった事を後悔し続けるだろう。 (当時中学1年生のガキで「レッド・ツェッペリン」を知るのはこの1年後になる) というわけで「レッド・ツェッペリンDVD」毎日観てます。これ一曲みるだけでユンケル一本分の元気が出てきますね。 しかし、今年5月に「クリーム」再結成か......うむむむ それも観たい..(^_^; |
明けましておめでとうございます。
去年は公式同人誌発行、サイト更新など、一歩前進することができました。これもみなさまのお陰です。 今年はより本来の仕事に本格的に復帰できるよう、治療と共に善処いたします。 PS 昨年ぼくに復帰の希望を与えていただいた低脊髄液圧症候群の日本の権威である、脳神経外科医、T.M先生、あと、この5年に渡りずいぶんメンタル的に支えていただいた心療内科医、H.M先生、の両先生に心から感謝いたします。 |
2004年10月16日(土)6年間の闘病について 近況 2
沢山お見舞いの言葉頂き、有り難うございます。(^^:
ぼくの低髄液圧症候群、一回目は8月末に三泊四日、2度目は10月9日より二泊三日の なんとか2度目のブラッドパッチ入院治療を終え退院して、現在自宅で静養中です。 ブラッドパッチ後は一ヶ月間ほど安静、食事、トイレ以外はほとんど寝てないといけないらしいので なかなか不便です。こうやって少し起きてテキスト打ってるだけで首、腰に痛みがあるくらいなんで。 8月に腰椎穿刺にて(脊髄注射)にて自家血を約20〜30mlを脊髄硬膜外に注入し、 今回は胸椎穿刺(首の下、肺の上あたり)にて約10mlの同上注射。今回は特に痛かった....。 耐えられなくて8ccでギブアップ (;_ _)/ 。 首の下あたりにキシロカイン局部麻酔注射を二カ所打ってるに関わらず痛みで気絶しそうになって(^^: しかし、治療後、良い方向に向かっているような実感があります。 この事については詳しくはまた日記で。 公式ファンブック、予想を上回る好評とのこと、大変喜んでおります。 同人とはとても思えない高クオリティな本に仕上げられた 糸野くん、南里くんを始め制作、頒布スタッフの方々に同人魂を見たような、感謝の至り、有り難うございます。 もちろん何より、購読された全ての方々、読んでいただき有り難うございました。 改めてお礼申し上げます。 あと、最近友人に過去の読み切り作品「ハート・オブ・サタデーナイト」のスタッフリストを 教えてくれと質問があったのでココに記しておきます。 そういえば「KOR」や「せさみ」などではスタッフ公表してるのに読み切りではしてないのでいずれ、 全作、今後のファンブックにデーターベースとしてまとめて行こうと思っています。 「ハート・オブ・サタデーナイト」 制作スタッフ 相当昔の仕事なので、ほぼという事で 担当 (当時)集英社第3編集部 週刊ジャンプ 長谷川さん (名前が..? なんだっけ すみません) 原作 人物作画 仕上げ まつもと泉 (チーフアシ)背景作画、仕上げ 薄井哲康 背景作画 仕上げ 松下 守 特別助っ人 背景人物モブの作画 黒岩よしひろ あと、本多将くんと岡崎武士くんが来ていたかが記憶が曖昧 (^^:この当時は大体この人数です。 これらは今後のファンブックに整理して掲載していきましょう。 これも後4作残ってますね。全5部作だし。 実はこのヒロインの名前 沙羅(サラ)の由来はね 下にヒント! そうそう、糸野くんにフィービーケイツについてまどかさんのモデルの真偽質問があったので、 懐かしくなって思わず「パラダイス」DVD買っちゃいましたよ。 何故だか真面目に「東京裁判」DVD買うつもりでアマゾンのぞいてたら、 あったので一緒に衝動買い。確かに改めて20年ぶりにこの映画を観ると 実写のまどかさんが動いているみたいだ〜w 寝ながら観るか...。 フィービーかわいいねぇ....。 当分寝てないといけないからフィービー映画集めでもするか。 「リッチモンドハイ」とか (^^: でも、ビデオより最近出てるDVD「パラダイス」のほうが断然いいかな。 DVDは当時観れなかったとこ、無修正版なのでフィービーの......が丸見えで........。 ごちそうさまです(^_^; ハレンチ学園トリビュートを掲載する雑誌「ハレあば」は発行元の都合で 休刊なっちゃたみたいですね。残念。ぼくのほうでは面白いプロットはできていたし、 十兵衛ちゃんを描きたいので。いつか何処かで永井先生の許可があれば是非執筆したい、 と今後の希望を述べておきます。 |
2004年8月21日(土)6年間の闘病について 近況
今から5年前、ちょうど下田取材もほぼ終え張り切ってスーパージャンプ誌に「幕末綿羊娘情史」連載予定だったネーム制作に入り始めた1999年6月のある日。 ぼくの身体全身に突然おびただしい程のジンマシン(皮膚科医師曰く環状紅斑というらしい)が出た。
とにかく全身が痒く仕事にならなくなった。と、同時に今まで体験したことの無い気分の悪さ、時に、立っていたり、椅子に腰掛けていても異常な頭痛と肩痛、首痛、脊 髄痛、気分の悪さ、怠さが襲ってきた。 で医者通いが始まった。しかし病院で出る抗アレルギー剤はまったく効かず。アレルギーに効くと知った還元水素水とかも飲み続けたが、その状況はほぼ1年に渡って続 き、シックハウス症候群なのでは?と疑って仕事場を引っ越す事になった。アレルゲン検査結果はダニ、ハウスダスト陽性。 引っ越し先でぴたりとジンマシンは止まったが、それでも体調不良の状態は続き.... それらは悪化の一途を辿った。その為、連載を延期し休養をとるしかなかった。 せっかく準備してきた仕事が出来ない事、スタッフを待機させている事、それが辛かった。 当時の症状をざっというと...めまい、不眠、視力の異常低下、腰痛や脊髄痛、全身筋肉の緊張、特に頭部痛、異常なほどの肩や首のコリ、、アレルギー、顎関節症(人 によっては、時に歯科医がいうところの噛み合わせ異常)しつこい便秘。うつ症状。不整脈、動悸。信頼できる内科で診断を受けた時は、心臓の不整脈を指摘され、のち心臓MRI検査に よって「肥大型心筋症」という診断結果を受けた。自分って心臓疾患があったのかと初めて知った。しかし肥大型心筋症だけではこのような激烈な症状は出ない。 痛みや怠さで立っていられないし、横になって寝ると夜は不眠が待っていた。一睡も眠れない日々が何日も続いた。睡眠導入剤さえも効かなくなっていった。しかし導入 剤の量は増えていく一方。とにかく眠れないのが一番辛かった。一週間に渡って一睡も出来ない事が何度と続くと死ぬのではないかとまで思った。色々な病院巡りが続い た。 まさかお吉さんの...とまで疑った時期も正直あった。 こういう症状を不定愁訴 ーー 自律神経失調症と言う。もしくは慢性疲労症候群とか更年期障害とも。一進一退の日々。 この当時自分は歯の噛み合わせ異常に根本原因があると疑っていたが、いくら噛み合わせを矯正しても悪くなることはあっても改善はなかった。 数年経ち、ひたすら無理をせず、安静を保っていると、とりあえず不眠症状は改善されてきた。 で、今年に入り仕事に復帰すべき仕事場に通うようになった。が、そこでまた悪化が始まった。 なぜ?という疑問が頭を巡る。 5月に姉から1つの新聞記事の切り抜きを見せられた。「脳脊髄液減少症」という聞き慣れない病気。 「低髄液圧症候群」ともいうらしい。貴方の症状に似ている、と姉に言われた。 近くの総合病院の脳神経外科と整形外科で脳MRI撮影及び腰椎MRI撮影を撮った。その病院の医師はそういう病気自体知らなかったが腰にヘルニアの兆候を指摘された。 で、そのMRI撮影写真を持参して脳脊髄液減少症の専門医に診断を受けることにした。 都内某病院、脳神経外科で6月1日の午前8時30分に7月分の診察受付を電話で始めると知って、電話かけまくり30分後にようやく繋がり、なんとか7月7日の診察 を受けれる、というとこまでこぎつけた。5月にTVやマスコミで紹介されたせいか、年内までどこの病院も予約が埋まるほどらしく。でもこれで長年の自分の不定愁訴の 正体にいよいよ迫れるかもと思った。 7月7日の専門医師のいる病院での検査結果「脳脊髄液減少症」の所見は陽性だった。 ぼくの脳MRI及び脊髄MRI写真を医師が見ての判断だった。専門医師の言葉が印象的だった。 「ぼくも数年前まではこのMRI写真をみても異常なしと言っていたでしょう、この病気を知るまでは」「しかし、今は、ここと、ここが、ほら、見てください。萎縮し、 小脳が...」「つまり80歳の人の脳と同じような状態という....」指摘していく医師をみてようやくほっとしたというのが自分の心境だった。 5年間に及ぶぼくの身体に真の病名がついた瞬間だったと感じた。 あと腰の痛みは椎間板ヘルニアだった。両方が関係があるのか、まったく別の病状なのか? やはりか、という感じだった。8月27日より30日まで三泊四日の入院予約を入れた。ブラッドパッチ療法という治療をその病院で受けることになった。一度で治るも のではないらしい。治らない可能性だってあると言われた。いわばまだ人体実験の段階であることを理解してほしいとも言われた。しかし5年間に渡った不定愁訴によう やくターゲットが見えたことになる。ぼくの答えは1つ「はい、承知しています、宜しくお願いいたします」と言うしかない。 「脳脊髄液減少症」というのは簡単にいうと、むち打ち症後遺症なんですね。 思い当たる事が1つあったんです。 実はぼくは幼稚園の頃、交通事故に遭っていまして(ひき逃げされた)その時、頭部を撃ったらしく、その時右耳がそれ以来現在まで40年間ずっと難聴になってるんで す。ぼくの人生ってずっとステレオで音が聞こえてないんです。 「脳脊髄液減少症」だからか、ずっと身体が慢性疲労症候群のような状態になっちゃってたんですね。 原稿描いていてもすぐに身体壊したりとか、なんか弱い身体だな、情けない、とずっと思っていたんで。 5年前になにかトドメのモノがそこにきて、現在のような色々な不定愁訴がボロボロでてきちゃったんだろうと医師は言ってました。当時の思い当たる事ってしきりに肩 がこるのでとんでもないほど強く指圧してもらったりとか、時下田取材での過労が来たことも考えられますが、これでようやく復帰のメドが立ったという事になります。 まぁこの身体で40数年よく生きてきたな、と今は神に感謝するしかないです。 「脳脊髄液減少症」「肥大型心筋症」「椎間板ヘルニア」乗り越えて行く壁はまだまだありますが、気持ちは「早く仕事に復帰したい」という事に間違いはありません。 この治療でうまく秋にかけて快復に向かえば、の話しですが、突然1つ仕事が出来ました。 永井豪先生原作のあの名作「ハレンチ学園」をぼくがトリビュートする事になりました。 永井豪先生はぼくにとってのマンガの神様でその最も影響を受けた作品を描けることをマンガ家人生で最も光栄に感じています。それまでに頑張って治療に専念して身体 の回復に専念して是非描きたいと思っています。 もちろん「幕末綿羊娘情史」の開始がぼくにとっての完全回復、復活であるのは言うまでもありません。 もうしばらくお持ちください。 |