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◆2009年09月27日(Sun)◆
『Ladies and Gentlemen.』
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1972年夏、エマーソン・レイク&パーマーの思い出。
英国のプログレッシブ・ロックバンド、「エマーソン・レイク&パーマー」 通称E&LPが初めて好きになったロックバンドだった。
それより以前は姉の聴いていたビートルズや日本のグループサウンズ、小椋桂、ジョン・コルトレーン、チックコリア、などいつも姉の部屋のステレオから大きな音で流れ漏れて来る曲をごちゃまぜに(隣り部屋ゆえ、嫌でも耳に入って来るので、最初はガッチャマンやデビルマンのテーマ曲のほうが好きだったんだが…)中学生にしてはませた音楽を色々覚えていた。 毎週日曜日には当時姉が務めていた有線放送局に遊びにいって、まる一日、洋楽を中心にターンテーブルにシングルレコードをのせる手伝いをしていた。そこで朝から晩まで存分に何でも聴きたいだけ音楽が聴けた。高校に行った時にはジャズ喫茶に毎日通ってロックすら舐めてた生意気な高校生になってしまっていた。
中学2年生の時に、親に買ってもらったSONYのスカイセンサーというラジオから深夜流れて来るオールナイトニッポンの特別番組を聴いていたら、偶然エマーソン・レイク&パーマーというバンドが来日して、後楽園球場で野外コンサートを行うのを中継する、という日があったので固唾をのんで聴いた。(D.J.糸居五郎さんでしたね!) エマーソン・レイク&パーマーなんて、始めて聞く名前のバンドだった。 その時、ラジオから流れた「ナット・ロッカー」というインストメンタルの曲に私は一瞬で魅了されてしまった。 始め、ラジオから聴こえるしゃべりが「納豆ロッカー」と聴こえたので、EL&Pというのはかなり日本食の好きな親日ロッカーなんだな、と勘違いしていた。 曲を聴くと「シェリーに口づけ」「木枯らしの少女」「アメリカン・パイ」「メタル・グルー」「ハイウエイ・スター」「「クエスチョンズ67&68」など当時いつもラジオから流れるポップな曲とは一線変わっていた。 一切歌がなく、演奏のみ、しかもクラッシックの「クルミ割り人形」をロックンロールにアレンジしたものだった。 しかし、やはりなんで「クルミ割り人形」で「納豆」なのか、夜通し考えていた。 後でとても長いインタビューや曲が流れた記憶があるが、そのあたりはもう定かではない。 その夜ラジオで聴いたエマーソン・レイク&パーマーというバンドが気になり、翌日、当時駅前にあった大きなデパートに入っているレコード店にいった。
そこで「タルカス」「展覧会の絵」というLPレコードが色々みつかり、購入した。 お店で視聴もさせてもらえたが、そのデパートに入っている良いにおいの漂う、「すがきやラーメン」に興味がいってしまい、とりあえず、「タルカス」「展覧会の絵」その2つのレコードを買って早くラーメンを食べよう、と思って購入し急いで店を出たのだが結局食べずに家に戻った。貯めた貯金がすっからかんになってしまったからだ。 姉の部屋のステレオの前でレコードの溝が途中にないLPを見て、不思議に思いながらも、そっと針を下ろした。 そして、聴き始めた。 延々20分以上もある長い曲が入っていて、これでは途中でトイレにいけないじゃん、と内心思いながらずっと聴きいった。 このバンドでシンセサイザーという楽器を初めて知り、夢中になっていった。 お陰で三つ子の魂ではないが、未だにこの音に反応する。 バンドを始めるきっかけも、このEL&Pを聴いたからだ。 でもキーボートが弾けなかったし、友達と楽器パートを決める時じゃんけんで負けて、ドラムを選んだ。 難しい音楽だったので、翌日学校に行って、「オレはエマーソン・レイク&パーマーを聴いたんだ」という自信が全身にみなぎってきていたので、友達の前でいつになく堂々としていた。 そして、ことあるごとに学校で「お前、今何きいてるの?オレはタルカスだけど」と言ってみて、クラスメート達に対し勝ち誇って晴れ晴れしい気持ちになっていた。(勉強ではなくロック聴いただけで意味なく勝ち誇るという大馬鹿だった) 馬鹿だから隣りのクラスにまで言いに行った。 そうしたら、そこでピンク・フロイドの「原子心母」を聴いているという人に出会い、びっくりした。プログレ者は当時けっこういたのだった。 その人とのちマンガ家を一緒に目指すことになった。
やがて自分でもドラムスを始めるようになって高校に進学してウイッシュボーン・アッシュ、ベック・ボガート&アピス、マウンテンや四人囃子、カルメン・マキ&OZ、上田正樹、めんたんぴん、荒井由実、T・バード、イギリスの色んなハードロックバンド、ドゥービー・ブラザース(特にジーザスは得意かも!)もコピーしたが、(YESは無理だった、EL&Pはキーボートが…GENESISはまだ知らなかった)自分ふくめバンドは、ジャズ、フュージョンの16や32.のリズムに全滅してしまい、 フュージョンバンドを始める事がバンド仲間的にカッコイイといわれる時代になっていった。 そのころにリー・リトナー、TOTOをよく聴いていた。 やがてスティーブ・ガッドの登場によって私のドラム生命は唐突に終わった。 スティーブ・ガッドのリズムは複雑で譜面が読めないと、耳コピーだけでは演奏できなかった。 当時渋谷センター街の雑居ビル二階にあったライブハウス「渋谷屋根裏」でのカシオペアの演奏を聴いたことも止めを刺された理由の一つであった。 ライブ終了後「渋谷屋根裏」を出て、近くの松屋に入り牛丼並みそ汁付きをほおばりながら、今聴いたあまりにも複雑な演奏をするカシオペアやスティーブ・ガッドによって、私はもうドラム演奏ではとても彼らについて行けない、としみじみ実感していた。 ただ、その時カシオペアの人たちも渋谷センター街脇の松屋で牛丼並みそ汁付きをたいらげながら一人音楽の道を挫折してゆく私の事を、まったく知らないのだった。(当然だわ!)
でもガッドよりジェフ・ポーカロの方が好きなんだな、と最近素直に思えるようになってきた。
ps このところ、喉が痛い…、新インフルを警告しときながら、これじゃ、しゃーないな。 外に出れない時は、音楽!(もいいけど…マンガ描けよ、と自力でツッコミ…)
訂正 調べたらオールナイトニッポンの当時のパーソナリティは亀渕昭信さんでした。 オールナイトは糸居さんのGOGO!の印象が強かったので…失礼しました。しかも糸井さんて書いてるし…。
BGM DIVA -Single Version MOUNTAIN Live 暗黒への挑戦 NANTUCKET SLEIGHRIDE
まつもと泉
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